───── アレフランス(雨宮史典)
「よお。さっきのヤツ、鑑定終わったかい?」
俺は鑑定屋の部屋に入って扉を閉め、肉付きの良い幅広の背中に愛想よく声をかけた。
彼は窓際に置かれた大きな木製のテーブルに向かい、書物のページを慎重にめくっていた。
テーブルの真ん中には白い厚手の布地が敷かれ、その上に鑑定を依頼した品が置かれている。
その周囲を取り囲むようにして、いかにも古臭そうな書物の山脈がつらなっていた。
彼は訪問者に対して興味を示すことはなく、品物を鑑定するという仕事に没頭し続けてい
た。
俺は鑑定屋の熱心な仕事ぶりにあらためて敬意を払った。彼の邪魔になることを恐れて部
屋から出ていこうかとも考えた。
しかし沸き上がる好奇心を抑えることはできなかった。少しぐらいならかまわないだろう
と自分を納得させ、部屋の奥に向かってそろそろと歩き出した。床に敷かれた赤い絨毯の上
を選び、できるだけ音がしないように注意する。厚みのある絨毯は俺の靴音を吸収したが、
その下にある板張りの床がみしみしと小さな音をたてた。
鑑定屋はひたすらに書物の文章を指で追い、口の中で何事かをぶつぶつと呟いている。鑑
定が終わったようにはみえない。今回の品物はそうとうに手こずっているようだ。彼の手を
これほどまでに煩わせるあの品は、一体どれほどの価値があるのだろうか?
俺は期待に胸を膨らませながら彼の側の椅子に腰を下ろした。椅子の背もたれに寄りかか
り、鑑定屋の作業が一段落するのを待つことにした。
外に張り出した二つの窓からは、うっすらと赤みを帯びた夕日がたっぷりと射し込んでい
る。部屋の隅に置かれた背の高い観葉植物が淡い夕日を全身に浴びていた。
俺は射し込んでくる光の粒子をぼんやりと眺めながら、肺の底から自然に沸き上がったあ
くびを口の中でかみ殺した。
「!?……こ、こ、これは、まさか!」
突然、鑑定屋は大声を発した。自分の鼻柱にのった、まん丸レンズの眼鏡に震える手をそ
えている。
「『デスマスカレイド!』」
彼は喉の奥から絞り出したような声を出し、熱のこもった目で夜藍色の仮面を凝視した。
今まで何度も鑑定を依頼してきたが、ここまで驚く彼の姿は見たことがなかった。
「なんだよ、それ?」
俺は鑑定屋の声色に少々面食らいながらも、鑑定の品が普通の物でないことを感じ取った。
大きな期待を持って身を乗り出し、夜藍色の仮面と鑑定屋の顔とを交互にのぞきこんだ。
「ディーン君、ここを見たまえ!」
鑑定屋は興奮を抑えきれない様子だった。書物のページを開いて指さし、こちらに押しつ
けてくる。年代を感じさせるカビの香りが鼻についた。
そのページは何かの暗号のような細かい文字でびっしりと埋められていた。隣のページに
は簡素な挿し絵がいくつか描かれている。書物に描かれた挿し絵の一つと目の前に置かれた
仮面とは、確かに一致しているように見えた。
「ここにある仮面はデスマスカレイドというものだ。説明文を要約すると『自らの生命力を
消費する事で無敵の力を手に入れる事ができる仮面』といったところだ」
「もしかして、ドゥームソードみたいなヤツか?」
俺は意識的に胡散臭い表情をつくり、鑑定屋の顔を横目でのぞき込んだ。
「機能的にはそれに近いだろう。並の戦士も魔法使いも、こいつをかぶれば凄腕の英雄とな
ることができるだろう!」
鑑定屋は荒い鼻息でまくしたてた。
俺は古の塔で手に入れた、いわく付きの剣を思い出していた。内部の侵入者を排除するた
め、塔の主によって生命を吹き込まれた魔法剣だ。俺達はその剣と遭遇して激しい戦いを繰
り広げ、なんとか勝利をおさめることができた。
操られていた剣は魔力から解放され、床に落ちて動かなくなった。その剣は今までに見た
こともないほどに立派なものだった。心を奪われた俺は以降の戦闘にその剣を使うことにし
た。
剣の威力は驚くべきものだった。かつて味わったことのない鋭い切れ味と、圧倒的な破壊
力が秘められていた。しかし剣を振るうたびに激しい疲労感と、極度の脱力感が全身をむし
ばんでいく。
宿に帰って彼に鑑定を依頼したところ、持ち主の生命力を喰らって切れ味を増すという魔
剣『ドゥームソード』であることが判明した。使用するリスクが極めて大きく、実戦で使う
にはあまりに危険なものだった。
どうやら今回手に入れた仮面も同じく、使用するリスクが大きいものらしい。仮面への期
待は一気に萎え、膨らんだ期待はため息とともにしぼんでいった。
「す、すばらしい……まさに芸術、伝説の秘宝! ディーン君、これを何処で手に入れて来
たんだい?」
落胆した俺とは対照的に、鑑定屋の興奮は頂点に達しているようだった。
「確かそれは……廃坑の奥だ」
鑑定屋から顔をそむけ、適当に言葉を濁した。
禍々しくそびえ立つ魔神殿が頭をよぎる。できることなら一般の人達に動揺を与えたくは
ない。デーモン・ロードと呼ばれる悪魔からの戦利品だとは、とても言えなかった。
俺はテーブルの上に置かれた仮面を手に取り、立ち上がって扉に向かって歩き出した。
「面白い物を見つけたら、私のところまで持ってきてくれよ」
「わかってるさ。鑑定、ありがとな」
「タブレットの件も、よろしくな」
鑑定屋は懇願するような声を出した。椅子から立ち上がって腰を丸め、体の前で手をすり
あわせている。顔には満面の笑みが広がっていた。
「ああ。考えておくよ」
俺は苦笑いをこらえながらそう言い残し、部屋の外に出た。扉を閉めて軽く息を吐き出す。
一呼吸置いて廊下を歩きだし、一階にある酒場へと向かった。そこで待つ仲間達に鑑定の結
果を報告しなければならない。
俺は手に持った夜藍色の仮面をぼんやりと眺めながら、石造りの階段をゆっくりと下りて
いった。
「おっと。失礼」
階段を下りた辺りで、何者かとぶつかりそうになった。
「あ、どうも」
ぶつかりそうになった人影は郵便屋だった。彼は馬鹿丁寧に頭を下げて俺に道を譲った。
郵便屋は相変わらず暇そうな顔をして、宿屋の入り口辺りをうろついていた。
俺は細い緑色の葉を持つ観葉植物の間を通り抜け、段差を降りて酒場に入った。
ほとんどの椅子に客が座っている。店の中は人々のざわめきで満たされ、料理やアルコール
の香りが空腹を刺激した。
酒場のマスターが腕を組み、カウンターの中に立っている。カウンター席に座った冒険者
達に熱弁をふるいながら『油断するんじゃねえぞ!』と諭し、右手でカウンターを叩いてい
た。
石造りの床に白衣を引きずり、左手にジョッキを持った中年男性の姿が見える。彼は椅子
やテーブルに何度もぶつかりながら、酒場の中を千鳥足で歩き回っていた。
モヒカン刈りの冒険者が上半身をさらけ出し、自らの肉体を余すところなく披露している。
脇にいたもう一人の冒険者が握り拳を震わせて、共に戦った武勇伝を熱っぽく語っていた。
吟遊詩人の繊細な指先が軽やかに弦を弾く音が聞こえてくる。椅子に座った長老が目を細
め、うっとりとした様子で聞き入っていた。
いつもと変わらない酒場の姿を眺め、俺の表情は自然にゆるんだ。こつこつと足音をたて
て歩き、仲間達の待つ壁際のテーブルに向かった。
盗賊のアルヴァが椅子の背もたれに寄りかかり、頭の後ろに手を組んで何事かを話してい
る。僧侶のファナがそれを聞き、口元を押さえて微笑みを浮かべた。
魔法使いのエディは椅子を前後逆にして座り、組んだ腕を背もたれの上にのせていた。彼
女は俺に気がつくと表情をほころばせ、手にしていた紅茶のカップを受け皿にもどした。
「ディーン、ご苦労様。鑑定は終わってた?」
エディのほがらかな声が俺を迎えた。
「ああ。終わってたぜ」
俺はテーブルの真ん中に仮面を置き、椅子を引いて深く腰を下ろした。
「この仮面、どんなヤツだって?」
アルヴァはそう言って仮面をつまみ上げた。両手をいっぱいに伸ばして仮面を持ち、にら
めっこをするようにして眺めている。
「『デスマスカレイド!』……だとさ。おーい、ビール一杯!」
俺は鑑定屋の声色をまねた後、近くを通りかかった女給に声をかけた。
女給は空のジョッキをいくつも盆に積み上げていた。彼女は景気のよい微笑みを浮かべて
小さくうなずくと、カウンターの奥に向かってきびきびと歩いていった。
「その……デスマスカレイドって、どんな効果があるの?」
エディが興味津々といった様子でテーブルに手をつき、身を乗り出してきた。
「自分の生命力を犠牲にすることで、超人的な力が得られる仮面……だったかな。詳しく知
りたいんなら鑑定屋に聞いてみてくれ」
俺は素っ気ない口調で答えた。腕を組んで背もたれに体重をかけ、椅子を大いにきしませ
た。
「また、いわく付きなの?」
エディはため息混じりに口を開いた。乗り出した自分の体を椅子に戻し、残念そうに下を
向く。
「そんな物騒な物、使えないな」
アルヴァはそう言って首を振り、手にした仮面をテーブルに戻した。彼の顔には苦々しい
表情が浮かんでいる。
何度となく生と死の狭間に立ち、命をすり減らす思いをして手に入れたのがこの仮面だ。
勇者の伝説に登場するような剣や指輪ならともかく、自分の生命を危うくする代物なのだ。
彼等の落胆ぶりも十分に納得できた。
「これから私達は、どうするのですか?」
ファナが静かに口を開いた。彼女は両足をきちんと並べて座り、ひざの上に両手を重ねて
いた。ファナは相変わらず僧侶らしい落ち着きをみせていた。
「そのことについて、俺とアルヴァで相談してみたんだが……お。ありがとう」
先ほどの女給がやって来て、ビールと微笑みをテーブルに運んできた。俺は高々とジョッ
キを掲げ、女給の後ろ姿に笑みを返す。そしてきめ細かな白い泡に口を付け、冷え切った苦
みをのどの奥に流し込んだ。
「おいら達が足を踏み入れた場所……魔神殿にはまだ先がある。あのデーモンを倒して世界
が救われた、というわけじゃない」
アルヴァがテーブルの上で手を組み、仮面を凝視しながら重々しく口を開いた。彼にして
は珍しく、ずいぶん真剣な口調だった。
「しかしあの時の俺達は、もう限界だった。体力は消耗しきっていたし、魔法も底をついて
いた。あれ以上先に進むなんてことは……とても無理だった」
俺は魔神殿での状況を思い返しながら口を開いた。ジョッキの取っ手に指を滑らせながら、
次々と消えていく白い泡を見つめる。無意識のうちに自分の声に無念さがにじんでいた。
「ポーションやオーブも、使い切っちゃったもんね」
エディが小さな声で付け加える。
「俺達はなんとしても魔神殿に向かい、その先に進まなければならない。そのためにはもう
一段階上の実力と、強力な装備が必要なんだ。そこで……」
アルヴァが筒状に丸めた羊皮紙を取りだし、丁寧にテーブルの上に広げた。ムーブレシア
大陸の北部に位置する、フォレシア地方の地図だ。
「この地方にある唯一の火山……『火竜の山』だ。次はここに行ってみようと思う」
俺は北部に連なっている山脈を指差した。全員の視線が一点に注がれ、自然と表情が引き
締まる。
しばらくの間、誰も何も話さなかった。
酒場に響く笑い声が、別の世界の物音に感じられた。
「その山には、赤竜が住んでいると聞きましたが……」
か細いファナの声が四人の沈黙を破った。彼女は顔を上げ、不安そうな視線を俺に投げか
けている。ファナは怯えきった小動物のような目をしていた。
「『ドラゴンゾンビ』とかいう奴は楽勝だっただろ? あれが生きていたとしても、そうは
変わらないさ」
俺はファナの不安を打ち消すように、極めて楽天的に言った。
実際、ドラゴンゾンビは楽勝とは言えないまでも、強敵とは言い難かった。魔神殿まで到
達した俺達の実力を考えれば、生きている赤竜といえども決して倒せない相手ではないだろ
う。
「できれば赤竜の持っている宝を、戦うことなく頂きたいんだ。それに成功すれば、おいら
達にとって大きなプラスになる」
アルヴァはファナの方に体を向け、身振りを交えてやさしく語りかけた。
彼は赤竜との戦いに関しては、どちらかというと消極的な意見だった。アルヴァの職業は
盗賊であるため、赤竜の持つ宝の方に興味があるようだった。
「ディーンもアルヴァも言ってるんだし。四人で頑張ればきっと大丈夫よ」
エディが励ますように言って、ファナを元気づける。
「そう……ですね」
ファナは小さくうなずいた。彼女が浮かべていた不安そうな表情は、少しずつ和らいでいっ
た。
「……よし。次は火竜の山だ。アルヴァ、エディ、ファナ。三人ともいいな?」
彼等は俺に視線を送り、全員無言でうなずいた。
俺は三人の視線を正面で受け止め、唇を引き締めて力強くうなずいた。
「俺は先に部屋に戻る。装備とポーションをチェックしてくる」
食事を済ませた俺は、三人を残して席を立った。彼等は『古の塔』と『超越者の城』のど
ちらが高い建物なのか、盛んに意見を述べあっていた。
ざわめく酒場を後にして部屋に向かって歩いていく。階段を上って鑑定屋の部屋の前を通
り過ぎた。
扉を開けて部屋の中に入る。ガラス窓を閉め忘れていたらしく、部屋の中は夜の冷気が漂っ
ていた。かすかに夜風が入り込み、半開きの白いカーテンを音もなく揺らしている。
俺は足元の暗がりに注意しながら、ゆっくりと部屋の中を進んでいった。窓際まで歩き、
夜風がたっぷりと染み込んだカーテンに手をかける。少し間をおいていっぱいに開いた。
山の稜線から昇ったばかりの三日月が、雲ひとつない夜空にぽっかりと浮かんでいる。月
は透き通った光を平等に分け与え、外の世界をやわらかく照らし出していた。
月の光は部屋の中にも入り込み、テーブルやカーテン、簡易寝台などに神秘的な印象を与え
ていた。
俺は月明かりを頼りに身をかがめ、窓際に置かれた大きな収納箱を開いた。そこには戦い
で獲得した貴重な品物、ありふれたポーション、魔法のアイテムなどが一緒になって保管さ
れている。
俺は収納箱の中に手を伸ばし、ディスティニーコインが入っている革袋を取りだした。耳
元で何度か振ってみると、あまり期待できない軽い音が返ってくる。立ち上がってテーブル
の側に歩き、袋を逆さまにしてコインを取り出してみた。
「なんだよ。たったの四枚か?」
俺は軽く舌打ちをした。この枚数を騎士殿に持っていっても、エリクシールやアンブロシ
アとは交換してもらえないだろう。せいぜいリターンロープがいいところだ。
テーブルの上にコインを並べ、ため息と共に椅子に腰を下ろした。月明かりを照らし返す
コインをにらみ、両腕を組んで低くうなる。
騎士殿に借金することを本気で考えていると、扉の取っ手を動かす小さな音が耳に入って
きた。俺は考えを中断して顔を上げる。遠慮がちに扉が開き、部屋の中に見なれた人影が入っ
てきた。
「エディか。どうした?」
借金のことは頭の隅に追い払い、彼女に向かって気さくに声をかけた。
エディは月明かりの届かない部屋の隅の暗がりに立ち、静かに扉を閉めた。
「ファナに、気を利かせてみたの」
エディはとても小さな声でささやいた。その声は少々いたずらっぽく響いた。
「何のことだ?」
俺は眉をひそめてエディに聞き返した。
暗がりの中から実に重たそうなため息が返ってきた。エディはしばらくその場に立ってい
たが、やがて静かに口を開いた。
「ねえ、ディーン。お願いがあるんだけど……」
「なんだ。言ってみな」
俺はテーブルの上に手を伸ばした。並んだコインを手にとって眺め、細やかな模様に指を
滑らす。コインは何度かきらりと光り、自分の存在をささやかに主張した。
「もう一回、遺跡の森に行こうよ。みんなでボートに乗ろうよ」
「ボート? なんでまた?」
俺は予想もしなかったエディの言葉に少々面食らい、床の上にコインを落としてしまった。
コインを拾って顔を上げ、エディの顔をまじまじとのぞき込む。
「はじめてボートに乗った時って、すごく面白かったでしょ? もう一回ボートに乗って、
ぐるぐるまわって帰ってくるの。みんなで釣りをするのも楽しいと思わない?」
エディはにこやかに話しながら、部屋の隅の暗がりから抜け出した。板張りの床を歩くエ
ディの姿が月明かりに照らし出される。
「火竜の山までは遠いんだし、途中で少しくらい寄り道しても……いいんじゃない?」
言い終えたエディは簡易寝台の側に立ち止まり、羽毛布団の上にゆっくりと腰を沈めた。
白くてやわらかな枕の上に、軽く握った小さな手のひらをそっとのせている。
額に流れたまっすぐな前髪がふんわりと揺れていた。エディは限りなく白く透明な光を浴び
て、にっこりと笑っていた。
俺はよくできた絵画を目にしているような感覚にとらわれ、しばらく言葉を失っていた。
やがて自分を取り戻し、軽い咳払いをして話し出した。
「俺達は一日も早く『最強の魔導器』とやらを倒さないといけないんだ。そんな寄り道なん
かしていられないぞ」
俺は少々厳しい口調でエディに言い聞かせた。彼女の言い分もわからなくはない。しかし
物事には順番がある。俺達はまず責任を果たさなくてはならないのだ。
「そんな……少しくらい息抜きしてもいいでしょ?」
「だめだ。世界を救う方が先だ」
俺は断固たる決意を言葉に込め、繰り返してエディに言い聞かせた。
揺るがない決意を耳にしたエディの表情が、少しずつ色あせていった。
「……そうだよね。賢者の門に張られた封印を解いたのは、私達だもんね……」
エディは、ぽつりとつぶやいた。
彼女の瞳から傷ついたような色がにじみ出し、顔中を覆いつくした。やがて寂しそうに肩
を落とし、そっと頭をたれた。
開け放した窓から不意に風が入り込んできた。夜の風は二人の間にひんやりとした空気を
置き、音もなく吹き抜けていった。部屋の中の空気がやけに湿っぽく感じられた。
「倒すものを倒したら、ボートでも、イカダ下りでも、トロッコでもいいぜ。みんなで乗り
に行こうじゃねえか」
俺は重苦しい空気を打ち消すように、努めて陽気に語りかけた。椅子に座りながら両手を
動かし、何回かボートを漕ぐ真似をする。
「……本当に?」
「ああ。本当だ」
俺ははっきりと言って椅子から立ち上がる。エディの側に歩み寄った。
「湖上の遺跡にも……行きたいな」
エディは顔を伏せたまま口を開いた。蚊の泣くような声だった。
「いいぜ。みんなで一緒に行くとするか」
俺はそう言ってエディの隣に腰を下ろした。尻の下の簡易寝台がぎしぎしと悲鳴を上げる。
やがて音は鳴りやみ、しんとした静寂が部屋の中に広がった。
俺は顔を上げてエディの表情をうかがった。
彼女は俺の顔をじっと見つめていた。
その目は驚くほどに澄みきっていた。
エディの瞳は心の中が覗けそうなほどに透き通っていて、まるで俺の深いところに大事な
何かを伝えようとしているようにも感じられた。俺はエディの中にある何かを必死になって
読みとろうとした。
しかし俺には何もわからなかった。
やがてエディはゆっくりと視線を外した。
彼女は実にやわらかな動作で、俺の肩にそっと頭をのせた。豊かな髪がさらりと音をたて、
静かに流れ落ちる。暖かなエディのぬくもりが感じられた。
俺達はしばらくその格好のまま、同じ月を眺めていた。
今も活動を続けている、フォレシア地方唯一の火山。
噂によると赤竜が住むと言われている……
俺達は山脈の中心部に向かう洞窟を抜け、山々に囲まれた広い空間に出た。
赤く焼けただれた岩の桟道があり、頼りなく崖にしがみついている。動物や植物などの姿
はどこにも見あたらない。崖の遙か下には赤い溶岩の流れがあった。
風が吹く気配はまったく無い。とにかく暑く、立っているだけで体力を消耗してしまう。
アルヴァの頭に巻かれた赤いバンダナは、汗をたっぷりと吸い込んで暗い色に染まっていた。
俺は桟道の縁に立ち、顔を突き出して崖の下を覗いた。
ドロドロに煮立った灼熱の溶岩が盛んに熱気を押し上げてくる。熱気は肌に突き刺さり、
眼球の水分を蒸発させるのではないかと錯覚させた。
――落ちたら命はない。
溶岩の熱気を顔にあびながらも、背筋が凍りつくような寒気を感じた。俺は早々に顔を引っ
込めた。
「あそこに見える物は、なんでしょう?」
ファナがそう言って遠くを指差した。
俺は熱気によって歪められた大気の向こう側に目を凝らす。そこには溶岩流の真ん中に浮
かんでいる島のような大地が見えた。何かの遺跡の跡だろうか、折れた円柱や建物の残骸の
ようなものが見える。
「おいらの目には……破壊された遺跡の跡に見えるな」
目を細めたアルヴァがつぶやいた。
「この桟道を進んでみよう。あの島にたどり着くかも知れない」
俺はそう言って、額ににじんだ汗を手の甲で拭った。
「ディーン、何か来た!」
エディが俺の腕を引っぱり、警告するような声を上げた。
トカゲの頭に蛇の胴体を持つ一体の生物が、手に槍を構えながら宙に浮かんでいた。赤銅
色の鱗をきらめかせ、桟道の向こうからじわじわとこちらに向かってくる。
「あいつは……サラマンダー!」
俺はエディをかばうようにして盾をかまえ、腰の剣を抜きはらった。
アルヴァは素早く走り出していた。腰に下げた短剣をまさぐりながら、相手との間合いを
急速に詰めている。
サラマンダーは大きく息を吸い込んだ。体の中に息をため込み、全身の動きを止める。
次の瞬間、鋭い牙を持った口が大きく開かれた。のどの奥から灼熱の炎が吹き出し、アル
ヴァに向かって放たれる。
「……アルヴァ!」
ファナの口から絶望的な声が漏れた。
アルヴァは繰り出される炎をかいくぐり、素早い身のこなしで相手のふところに潜り込ん
でいた。急所と思われる喉元あたりをめがけ、逆手に持った短刀を一閃させる。金切り声と
共にサラマンダーは大きくのけぞった。
アルヴァの後に続いて突進していた俺は、剣を振るってこん身の一撃をたたき込む。手に
した剣からは快心の手応えが伝わってきた。
「やったか!」
致命傷を負ったサラマンダーは断末魔の叫び声を上げ、俺達に背を向けて逃げ出した。ふ
らふらと溶岩流の上空をさまよいながら、熱気に歪んだ島の方に向かっていく。やがて糸が
切れたように突然落下し、灼熱の赤い溶岩の中に飲み込まれていった。
俺は剣を鞘に戻し、大きく息を吐き出した。今回は事なきを得た。しかしいつ、どこで、
どんな魔物が襲ってくるのかまったく予想がつかない。
「油断はできないな。気を引き締めて行くぞ」
桟道を進むごとに道幅は細くなり、やがて忘れた頃に太くなった。
滝のように流れ落ちる溶岩の裏側を歩いた。焼けるような熱気を吸い込んで肺の底からむ
せかえった。
洞窟の中に架けられた粗末な木製の橋を渡った。足元の木のすき間から遙か下の溶岩を覗
き、恐怖に胃が縮み上がった。
もろくて崩れやすい岩の足場を歩いた。何度となく肝を冷やした。
ずいぶん桟道を進んだものの、周囲の風景にたいした変化は見られなかった。歩き続けて
いる俺達は、目的の島を中心にぐるりと廻っているようだ。
桟道に出てから三つ目の洞窟に入った。今まで入った洞窟とは違い、熱気を感じさせない
涼しくて大きな洞窟だった。
「しばらくここで休もう」
俺の声は高い天井に反響し、奇妙な響きを残した。
アルヴァは頭をたれて洞窟の壁によりかかり、バンダナの結び目をほどきはじめた。エディ
は膝に手をついてぜいぜいと喘ぎ、ファナと一緒に岩の地面にかがみ込んだ。俺もぐったり
と腰を下ろし、呼吸を整えようとひんやりとした岩の壁によりかかった。
俺達は洞窟の冷気に身を溶け込ませた。
刻々と疲労が抜け落ちていく心地よい感覚を味わっていた。
「あれは……宝箱でしょうか?」
顔を上げたファナが控えめな声を出した。視線の先は洞窟の奥に向けられている。
そこは入り口からの光が届くぎりぎりの範囲だった。闇に向かってしばらく目を凝らして
いると、岩の盛り上がった段差が見えてきた。そして闇に溶け込むようにして、緑色をした
宝箱が確認できた。
「おいらの出番だな」
宝箱と聞いたアルヴァは目を輝かせた。外したバンダナを再び頭に巻きなおし、宝箱に向
かって軽快に歩いていく。
俺達も重い腰を上げ、でこぼこの足元に注意しながら彼の後に続いた。アルヴァは宝箱の
前にかがみ込み、熱っぽい視線を鍵穴に向けていた。
「鍵は……かかってないな。罠も無さそうだ」
アルヴァは拍子抜けしたようにつぶやき、宝箱のふたに手をかけた。重さを確かめるよう
にして、ゆっくりと開けていく。蝶番が歯ぎしりをするかん高い金属音が響き渡り、洞窟の
中を何重にもこだまして耳と背筋を震わせた。
全開となった宝箱に全員の視線が注がれる。中には短剣と防具が入っていた。
「これが竜の宝……でしょうか?」
宝箱の中を見つめながらファナが口を開いた。
「おいらとしては、冷たいビールが欲しかったけどな」
アルヴァは少々残念そうに言いながら、手を伸ばして短剣を手に取った。宝箱の縁に腰を
下ろし、鞘に収められた短剣をおもむろに引き抜く。
洞窟内のわずかな光を反射して、金色の刀身が姿を見せた。
「金の短剣、ですね」
ファナはにこやかな笑顔で刀身を眺めた。
「うーん。本当に金だったら、もう少し重くても良さそうなんだけどなあ……?」
抜いた短剣を軽く振りながら、アルヴァがしきりに首をひねっている。自分の短剣を左手
に持ち、右手に持った金色の短剣と重さを比べはじめた。
「でも、竜の宝にしては……少しさみしくない?」
エディは短剣と防具を交互に見比べていた。彼女は口をとがらせ、不服そうな表情を浮か
べている。
「やはり本命は、あの島に眠ってるんだろう」
俺はため息混じりに言い、腰を落として宝箱の中の防具を持ち上げた。
握り拳をつくって表面を軽く叩く。小気味よい音が洞窟内に反響した。急所の守りには優
れていそうだし、良い物であることは間違いないだろう。しかし鑑定してみないと何とも言
えないが『竜の宝』と名を冠するには、少々物足りない印象を受けた。
「洞窟の向こう側に見える出口……あれが島に通じてるんだろうな」
アルヴァはバンダナの結び目を触りながら、重々しく口を開いた。
暗闇にぽっかりと口を開けている反対側の出口。そこからまっすぐに延びた道は細くて長
い。どうやら溶岩に浮かぶ島の方向に延びているようだ。
「……そろそろ、行くか」
俺は立ち上がる。
まだ見ぬ赤竜の姿を想像して唇を硬く結んだ。